第6章 図書館研究団体および協議会との関係


第1節 関西文庫協会

 明治32年11月10日「図書館令」が公布され,その後日本の図書館運動がいよいよ盛んとなる明治32年12月11日,京都帝国大学附属図書館の開館を見たことは,あげ潮期の日本図書館運動へ一つの光彩を添えたものということができよう。関西文庫協会はその翌年の1月5日京都帝国大学附属図書館長島文次郎,同館員笹岡民次郎,秋間玖磨によって発起され,同年2月4日には発会式を挙行し,かつまた明治43年4月30日には日本最初の図書館関係誌「東壁」が発行されたことは,たとえそれが短命であったにせよわが国図書館史上特記すべき事実である。これは初代木下広次総長および島館長の図書館に対する理解が深かかったこと,さらに帝国図書館から笹岡民次郎および秋間玖磨が京都帝国大学へ来任してきたことなど,新しい大学図書館建設の動きが,関西文庫協会の設立と「東壁」発行の主体的条件をなしたということができるであろう。特に木下総長の図書館に関する思想は,大学の内外から拍手をもって迎えられたといっても過言ではない。それは第5回例会に行った演説「図書の蒐集の必要を論ず」にも見られるし,また総長自身所蔵図書の一切をあげて京都大学な寄付した行為によっても知りうる。

「東壁」創刊号表紙
 ところで明治34年4月30日発行の「東壁」第1号は会報欄において次のように伝えている。

  関西文庫協会々報摘要
  本会は明治三十三年一月五日文学士島文次郎秋間玖磨笹岡民次郎諸氏の発起に係り,凡そ図書館の管理法及図書に関する諸般の事項を研究するを目的とし,京都近府県に於ける図書に篤志の士及各文庫に従事する者の賛同を得て,同年二月四日其発会式を京都帝国大学附属図書館閲覧室に於て執行せり。此日参会せられたる者44名なり。島文学士は発起者を代表して先づ開会の趣旨より次で欧米図書館の沿革其発達を述べ,図書取扱の方法,目録編纂の方法,図書整頓及保存の方法,図書の蒐集及選択の方法,委托図書保管の方法,新聞雑誌取扱及保存方法,図書館建築の要件等に就て其概略を挙げ,此の如く 図書館管理法は極めて複雑なるを以て,図書館利用の完全を図るは至難の業務にして到底個人の予想に及ばざるもの多々あるに依り,茲に本協会を設立し是等諸般の事項を相共に研究し,図書館の発達を企図するは目下最大の急務なるべしとの意を陳べられたり。次に本会々則案の議事に移り,当日列席中の文学士前川亀次郎氏(第三高等学校教授)を座長に推選して逐条討議したり。乃ち可決の全文左の如し

関西文庫協会々則
  第1章 名称
    第1条 本会ヲ名ケテ関西文庫協会ト称ス
  第2章 目的
  第3章 方法機関
    第2条 本会ハ文庫ノ事務ニ従事スル者及図書ニ篤志ノ輩相集リ知識ヲ交換シ文庫ノ管理法及図書ニ関スル諸般ノ事項ヲ講究シ文庫ノ利用発達ヲ企図スルモノトス
    第3条 第2章ノ目的ヲ達センカ為メ本会ハ演説談話討論ヲナシ又雑誌ヲ発刊スヘシ
    第4条 雑誌ニハ図書館学「ビブリオテックス・ウィセンシヤフト」ニ関スル論説記事及本会報告ヲ掲載シ之ヲ会員ニ頒チ之レヲ世ニ公ニス
    第5条 本会々員ニ非ラスト雖文庫管理ノ方法其他図書ニ関スル意見ヲ有スルモノハ客員トシテ演説ヲ請ヒ或ハ其寄稿ヲ本会雑誌ニ登録スルコトアルヘシ
  第4章 会員
    第6条 凡ソ図書取扱ニ従事スル者及図書ニ篤志ノ輩ハ何人ヲ問ハス本会々員タルコトヲ得
    第7条 本会ニ於テ入会ヲ許諾シタルトキハ会員証ヲ交付スベシ
    第8条 会員ハ会費トシテ毎年金壱円弐拾銭ヲ納ムヘシ但一時ニ完納スルモ妨ゲナシ
    第9条 世ノ学術家名望家ニシテ本会ニ稗益アリト認ムルモノハ特ニ請フテ本会名誉会員ト為スコトアルヘシ但出席会員4分3以上ノ議決ヲ以テ之ヲ定ム
  第5章 集会
    第10条 集会ハ毎年3月6月9月12月ノ第1日曜日ニ於テ之レヲ開キ演説談話討論等ノ方法ニ依リ本会ノ目的ニ関スル事項ヲ講究スルモノトス
    第11条 会員10名以上ノ請求アルトキハ臨時集会ヲ開クコトヲ得臨時集会ハ其目的外ニ渉ルコトヲ得ス但開会前其事項并会場及日時等ヲ会員ニ通知スヘシ
  第6章 職員
    第12条 本会ハ幹事2名ヲ置キ本会一切ノ事ヲ執行セシム其任期ハ1ケ年トシ毎年3月ノ集会ニ於テ其改選ヲ行フ但再選スルモ妨ゲナシ
    第13条 幹事ハ常務ノ外毎年3月ノ集会ニ於テ事務ノ成績及会計決算ノ報告ヲナシ後任者ニ事務ノ引継キヲナスヘシ
    第14条 文庫管理ノ方按其他ノ事項ニ付テ特ニ調査ヲ要スルトキハ本会ハ会員中ヨリ臨時委員ヲ設ケ其調査ヲ委托スルコトアルヘシ
    第15条 幹事ハ相当ノ報酬ヲ以テ書記1名ヲ使用スルコトヲ得
  第7章 事務取扱
    第16条 毎集会ニ於テ幹事ノ内1名ヲ以テ議長トナス
    第17条 幹事委員及名誉会員ノ選挙ハ皆記名投票ノ法ヲ以テ之ヲ行フ
  第8章 細則
    第18条 幹事ハ本会則ヲ執行スルニ必要ナル細則ヲ設クルコトヲ得
  第9章 修正
    第19条 本会則ノ修正ハ出席会員4分3以上ノ同意アルヲ要ス但修正ノ個条ハ1ケ月前ニ於テ各会員ニ通知スヘシ

 以上の如く会則の決定とともに,事務所を当分の間京都帝国大学附属図書館内に置くこととしたのち,幹事の選挙に移り,発起人である島文次郎および秋間玖磨が次の改選期までを仮に担当することに決め,参会の各員は随意に書庫ならびに図書館用器具を観覧して散会した。
 このようにして関西文庫協会は誕生を見たのであるが,その中でも特に注意を引くことは,会則の第3条に「…雑誌ヲ発刊スヘシ」と強く雑誌発行の意図を明らかにしていることである。
 次いで明治33年3月4日には第2回例会が京都の祇園栂尾楼において開催された。

   明治33年3月4日京都祇園栂尾楼に於て第2回例会を開く。此日会する者28名なり。本月は幹事の改選期なるを以て秋間仮幹事先づ簡単に諸般の報告を為し,後ち幹事の改選を行ひたるに島文次郎秋間玖磨の2氏当選したり。夫より秋間玖磨氏は目録編纂法に就て凡そ目録検索者をして徒労を感ぜしめざのる法は,辞書体目録の至便なるに如くものなしとて其記入法及分析参照,概括目録記入法等の実例を挙げて所見を述べ,終に図書館の業務に就て世俗は普通官庁の事務と同一視して,動もすれば図書館員は隠居役なり又は書籍の番人なり杯と唱道すれども,今や図書館の業務は全く一の専門科学なりとて,其専門的たる要件を枚挙して大に我国民が図書館に冷淡たるを歎じ,又管理者の注意を要する事項を挙げて共に研究の急務を希望せられたり。次に島文学士の図書館蔵書印捺印法に就て,演説ある筈なりしが来賓の演説あるを以て之を次会に譲り,来会者諸氏に各員の従事せらるゝ図書館又は文庫に於て現に使用せられつつある蔵書印押捺法に付き,其印章の形状及其実質並に右蔵書印は図書の如何なる場所に捺印せらるゝ乎等に付て報道を乞ひ,其統計報告を兼て次会に演説さるゝことゝせられたり。次に来賓京都帝国大学法科大学教授法学士織田萬氏は,本邦人の欧米国人に比し常識及公共心の欠乏せる事より論じ起し,庶民図書館に就て其設立の最も急務なるを詳論し,尚詳細に英,仏,独国等に於ける図書館の制度及英京東部「ホワイトチャーペル」に於ける貧民図書館の状況を説き,大に聴衆の注意を惹けり。右終りて懇親会に移り酒間古文書取調及蒐集の為め来京したる東京の国学家生田目経徳氏は,古文書の保存に関して古文書は史学,法政学等に最も参考となるべき好材料なりとて一々例証を挙げられ,熱心に其蒐集及保存の必要なるを演説せられ大に本会設立の美挙なるを賛し,将来各図書館に於ても可及的古文書類を蒐集及保存せられんことを希望せられたり。

 第3回会報より

   明治33年6月3日,京都市尊攘堂に於て第3回例会を開く。此日会する者35名傍聴者10名なり本会に於て島文学士の図書館蔵書印押捺の方法に就て其種類及統計報告を兼て詳細に演説ある筈なりしが各所よりの報道少く其統計等を報告するの材料収集せざるを以て蔵書印の起源其質種類押捺の場所並に秘密印及押捺用印肉の色等に就て所見を述べられたり次に本年4月欧洲より帰朝せられたる来賓京都帝国大学法科大学教授法学士高根義人氏が予て留学中目撃せられたる欧米図書館の現状に就て先づ欧洲各国図書館の状況より説き起して米国に移り其三大図書館として「ワシントン」府議院図書館「ボストン」及「シカゴ」市公共図書館を挙げ其蔵書の員数建築の坪数人口と図書との比較等を詳論し其構造の美麗宏壮なる実に驚くべく又管理法に就きても非常に発達して他に比類なき先づ世界に冠たるものと言うも決して過言にあらざるべしとて其の例証を示され殊に閲覧者の健康を保つことに付「シカゴ」市図書館にては新奇なる蒸汽機関を用ひて常に良好の空気を絶えず流通して敗気を天井に排除せしめ又室内の温度を始終一定せしむるを以て一たび此室に入るときは何となく精神愉快にして読書に適し其他貸付方法の容易なる昇降器防火用意等の周到なるを論じ又図書館員養成の方法等に就て約2時間以上に渉る演説ありたり

 次いで第4回例会は明治33年9月22日に京都市尊攘堂において開催されたが,会報は次の如く報じている。

   ……此日は朝来雨天にして殊に正午頃よりは強雨となりたるにも拘らず会する者16名なり幹事島文学士は先づ来会者諸氏に向て今後関西教育社と交渉を遂げて同雑誌の一部分を利用して本会の機関となし本会の記事は勿論本会に於て研究に係る図書館管理法其他諸名士の演説図書に関する古今の議論等を掲載して毎月各会員に配附することにしたれば会員諸君に於ても続々卓説を投稿せられんことを希望せられたり次に来賓京都帝国大学法科大学教授法学士岡松参太郎氏は欧米諸国に於ける図書館は何れも完全なるものにして到底我国の比にあらざるなりとて其重なる図書館名,建築,蔵書等の大要を挙け而して是等大図書館の事は是迄既に本会に於て講話もありたるを以て氏が留学中独逸に於て学術研究上極めて簡便にして最も利益を得たる諸大学に附属する所の図書館乃ち専門科学を修むるもの又は著述家等の為めに最も便利なる「プライベート,ライブラリー」に就て其管理者,閲覧席図書の陳列法色別分類法「カード」目録の記入法等其他来観者に対して注意の周到なるを演説せられたり右畢りて欧洲の事情に就て程々有益なる談話ありたり

 第5回例会は明治33年12月9日京都帝国大学附属図書館閲覧室において開催されている。

   ……此日会する者42名なり幹事島文学士は先づ来会者諸氏に向て本会は是迄関西教育紙上に本会々報を掲載して諸君に配送したりしが同雑誌は都合に依りて今回廃刊したるに付今後は年4回即ち本会例会の月に於て独立機関雑誌を発行し世に公にせんとて目下其計画中なる旨を簡単に報告せられ就ては会員諸氏よりも続々投稿あらんことを希望せられたり次に来賓京都帝国大学総長木下博士は図書の蒐集及保存に就て徳川時代に於ける図書の蒐集及保存の方法より説き起し旧諸藩にて設けられたる学校文庫には多くの良図書を有したりしが維新革命の際是等の書は多く散逸して今容易に之を得ることの難きは誠に遺憾なりとて殊に古文書の蒐集及保存の必要なるを詳論し大に聴衆の注意を惹けり次に来賓米国マスター,ヲフ,アーツ児島亀士氏は曾て米国留学中目撃せられたる学校附属の図書館に就て其状況を述べられ終に村落の図書館即ち簡易図書館の事に就て熱心に演説せられたり当日恰も京都帝国大学附属図書館開館一周年の記念として展覧会を催されたる日にして同館所蔵及委托書等の珍籍を多く閲覧室に陳列しありたるを以て会員は随意に之を観覧して散会せられたり

 第6回例会は京都市東洞院にあった中央倶楽部において明治34年3月10日に開かれている。

   …此日会する者27名なり本月は幹事の改選期に付島幹事は先づ1ケ年間の成績及会計の報告を為し次に今回本会より雑誌を発行するに付編纂委員を設くるの必要あるを以て規則修正案を議したるに結局編纂委員若干名を置き其の推選は幹事の指名となすに決したり次に神戸桃生山桃木書院主桃木武平氏より提出せる建議案即ち帝国関西地方に於て所蔵目録を本会に提出して一の聯合蔵書分類目録を編し篤学者相互に閲覧の便を図らんとするにあり而して其編纂は帝国図書館分類法に準拠し本会幹事に一任するの件は出席会員の同意を得て漸次着手する事に決したり次に幹事の推選を行いたるに島文次郎秋間玖磨の二氏再選したり次に当日の来賓京都帝国大学田島教授は泰西の図書館に就て先づ英国博物館の図書館に就て蔵書の員数,閲覧室の模様,掛員の閲覧者に対する取扱方仏国のビブリヲテーク,ナシヨナルに就て其状況を述べ次に独国聯邦図書館に就て国有,大学附属等の大小図書館を枚挙して其蔵書員数,創立の起原,閲覧者の員数,経費,位置等を統計に憑て綿密に報道せられ泰西諸国に於ては斯の如く完全なる図書館多く之を我国の現状に比すれば霄壌の異あり而して之等図書館の有益なることは言を待たず国民教育と相待て今日独乙文運の隆盛なるを見ても與て力あり依て我国にても各所に多くの大小図書館を設立あらんことを望むなりとて其論を結ばれ次に第三高等学校宍戸教授の古碑文鐘銘等の謄本及図書の陳列法に就て自己の新案を陳べ幾多の標本を示して実地応用の方法を論せられ榻本調製に就ては各図書館若くは篤学者相聯合すれば非常に便利なるべきを陳られたり次に懇親会に移り宴酣なるに至り来賓井上京都帝国大学教授の席上演説あり図書に就て氏が卓抜なる持論即ち将来の大学は當に図書館と為るべき事を述べられ宴を終った。

 以上で「東壁」第1号に掲載された会報は終るが,これまでの例会報告中特に注目されることは,関西文庫協会の機関誌「東壁」の発行以前にも機関誌(?)があったということである。それはすなわち第4回の例会報告に「関西教育社と交渉を遂げて同雑誌の一部分を利用して本会の機関となし」た記事がそれを語っているといえよう。ところでこの「関西教育社」「関西教育」という雑誌を発行していたのであるが,「実物を見ることができないため,いつ,どこで誰が編集発行したものかわからないし,どんな内容をもち,どの程度に関西文庫協会の会報を載せて機関の役目を果したかが皆目不明である。わずかに新聞広告によって,明治33年6月に創刊し,月刊であったことと,その売捌所が京都仏光寺烏丸東の東枝律書房であったことを知るのみである」 (竹林熊彦:湯浅吉郎と図書館事業(2)「土」第51号) 「関西教育」が発行後わずかにして廃刊となることは,第5回例会の会報によって知ることができるけれども,この廃刊が「東壁」の発行を早めたことにもなったということができるであろう。
 明治34年6月9日午後1時より京都市祇園御幸道東山文庫において第7回例会を開いており,「東壁」第2号にはこの会報のみを掲載している。それは次の通りである。

   此日会する者会員24名外に客員1名なり,会則第9条に依り本会名誉会員の推薦に関し左の諸君(五十音順)を名誉会員に推薦し全会一致の同意を経たり
  阿部 正義 天谷 千松 荒木寅三郎 井上哲次郎  
  井上  密 岡松参太郎 織田  萬 折田 彦市  
  笠原 光興 菊池 侃二 木下 広次 久原 躬弦  
  近衛 篤磨 鈴木文太郎 高崎 親章 高根 義人  
  田島 錦治 田中 稲城 田辺 朔郎 坪井 次郎  
  手島 精一 徳川 頼倫 内貴甚三郎 難波  正  
  仁保 亀松 村岡範為馳 柳原 義光 和田 萬吉  
   の諸君
   次に島幹事は本年3月以降に於ける本会新入会員及退会者の氏名住所等を報告し…次に京都帝国大学法科大学講師湯浅吉郎氏は「エール大学附属の諸図書館並に書店」の演題に就て先づ各教授,学生の図書室より論じ起し「アカデミック,ライブラリー」の特色を丁寧に陳述せられ法科大学の図書館裁判所及弁護士図書館と同一の棟に在りて珍奇なる訴訟ある時は教授は学生を率いて法廷に聴くの至便有るを述べ,更に中央図書館の大規模に説及ぼし僅少なる人員を以て巧に図書の出納其他総ての事務を簡単に処理すること驚くべき程なるを述べられ話頭一転同大学附近の書肆に数種ありて各其特色を異にするを論じ,図書愛読の美風は普く米国に行渡りて至らざる無きを嘆称して演壇を退かれたり,講演後図書館及図書等に関し互に有益なる談話に時を移し散会したのは午後6時を過ぎていたという。

 第8回例会も前回と同じく東山文庫において明治34年9月15日開催された。

  …此日会する会員24名に外客員2名なり島幹事は先づ本年8月以降に於る入会員の氏名住所を報告し次に本日の演説者幸田文学士を紹介せり同氏の演題は「史料の捜索及び蒐集」にして先づ史料に遺物,記念物及び狭義の史料の三種有るを述べ詳に之が例証を与え我国に於る其目録索引等の目下甚だ不完全なることを痛嘆し欧米各国に於る史料蒐集の実例を挙て之と比較し完全なる方法の一日も早く出来せんことを切望せられたり……尚演説終りて後坐間の談話湧くが如く宍戸教授の如きは図書館目録編成の急務に就て分類法の一定を希望せられ全員の有志各之に就て意見を闘わし,次で古事珍本に就ての議論有りて散会せるは午後6時頃なりき。 (「東壁」第3号会報より)

 ところで第3号には始めて「京都帝国大学附属図書館貴重図書解題目録」が掲載された。これは「当時清国留学ノ文学士狩野直喜君ノ主トシテ研究セラレタル結果ニヨリテ成リ富岡謙三君更ニ之ヲ校訂セラレタルモノナリ」とあり,以下継続して掲載されるはずであったが,この号のみに終ったのは残念である。
 第9回例会は明治34年12月8日午前10時より京都帝国大学図書館閲覧室において開催された。
 …此日会する者会員31名なり島幹事は先づ諸般の報告をなし次で会員田辺頼真氏の発言に依り従来第一日曜日に開きたる例会を今後第一土曜日午後より開会の事を衆議に問いしに別に異存者なきを以て次会より例会は第一土曜日午後より開催する事に決したり依て本会規則第10条中の第一日曜日に於て之を開き云々は自然消滅したり次に会員富岡謙三氏は「図書館に対する希望」てふ演題にて古文書の蒐集は素より結構の事なるも先づ夫れより急務なるは現今京阪地方にある古寺院に散在せる古版本古鈔本又は絵巻物中古来の風俗調査に必要なるもの等の模写若しくは収拾を京都大学図書館に望み字書索引年表地図等の整備を各図書館に望み其例証として古書に関する豊富なる智識を傾瀉して大に人聴を聳かしたり夫れより当日参集の諸氏は同館開館第二周年記念として京都地誌に関する展覧会を随意に観覧して散会せられたり。
 以上が「東壁」の終刑第4号までに掲載された会報の内容であるが,例会はこのあと第10回を明治35年3月16日京都帝国大学附属図書館,第11回は同年6月28日下京区生祥小学校(理学博士山口鋭之助講演),第12回は同年9月20日同じく生祥小学校で,第13回は明治36年4月12日京都帝国大学附属図書館(法学博士勝本勘三郎講演),第14回は同年6月27日生祥小学校(池辺義象,富岡謙三講演)でそれぞれ開催されている。