啓迪集(けいてきしゅう)

 著者曲直瀬道三は相国寺を経て足利学校に入り、田代三喜に李朱医学を学んだ。李朱医学とは不足した「気」を補う治療法である。のち京都に帰り、啓迪院で弟子を養成した。天正二年(1574)「啓迪集」を著し、李朱医学を基本としつつ、症状に応じて対処すること(察証弁治)を主張した。道三の後継者曲直瀬玄朔の門人に山脇東洋の養祖父玄心がいた。 本書は慶安二年(1649)刊。

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