解屍編(かいしへん)

 明和七年(1770)四月、河口信任は原田維祺とともに京都西土手刑場で刑死体の解剖をみずから執刀して行った。2年後、その記録と余?明の画を入れて出版した。信任は古河藩医で藩主土井利里が京都所司代に任じられたのに随行して入洛した。本書は明和九年(1772)年刊。

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