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平成12年度公開展示会図録
江戸初期の連歌・俳諧の胎動
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里村家は、昌叱の子孫の南家、紹巴の子玄仍の子孫の北家に分かれ、徳川将軍家のお抱え連歌師として代々奉仕し、権威とひきかえに創造性を失っていった。
一方、近世に入って貞門、談林の俳諧が生まれるが、松永貞徳にしろ、西山宗因にしろ、里村家に入門した連歌師であって、俳諧は余技に過ぎなかった。その後、俳諧は次第に連歌を圧倒しはじめ、蕉門が全国的に拡がりを見せるに至っては、完全にその地位を奪ってしまう。
しかし、室町時代には俳諧は、連歌の歩みとともにあったと言ってよく、『菟玖波集』には「俳諧」の小部立が立てられている。『新撰菟玖波集』には俳諧の作品は全く取られていないが、その四年後には俳諧の撰集『竹馬狂吟集』が編まれている。宗祇、兼載、とりわけ宗長は俳諧を好んだ。『俳諧連歌抄』(『犬筑波集』)を選んだ宗鑑も、宗長と接触があったようである。「守武千句」を独吟した荒木田守武は、宗祇に師事して本格的に連歌を学んだ人で、宗長、宗碩ら連歌師とも交遊があった。この守武流を受け継いだ伊勢俳諧は、重頼の『犬子集』に最も多く入集、宗因も守武流を標榜した。
収録資料一覧
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〔四○〕賦何木連歌 〔四一〕賦千何連歌 〔四二〕連歌伝授切紙
〔四三〕漢和聯句 〔四四〕俳諧連歌抄 〔四五〕狗[こ]集 (犬子集)
〔四六〕宗祇法師画像 〔四七〕里村昌程画像 〔四八〕里村昌純画像
〔四九〕石井了心画像 〔五〇〕石井了益画像 〔五一〕石井了[せん]画像
〔五二〕石井了民画像 〔五三〕石井了珪画像 〔五四〕石井了珀画像
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