平成12年度公開展示会図録

二条良基から七賢

 一四世紀後半、二条良基や救済の働きにより連歌は飛躍的な展開を遂げた。良基は摂政・関白を歴任した高貴の身でありながら、当時幽玄な作風をよくした地下の連歌師救済を師と仰ぎ、順覚・信照・周阿ら連歌師と交流した。こうして、宮廷・貴族の間で行われた堂上連歌と、毘沙門堂や法勝寺などの寺社の花の下で、堂上以上の隆盛を見せていた地下連歌の流れがひとつになった。良基は、初の准勅撰の連歌撰集『菟玖波集』を撰進し、連歌に和歌と同等の地位を与えようとした。また、乱れていた連歌の式目を整備して「応安新式」を制定、さらに『筑波問答』『十問最秘抄』など多くの連歌書を著した。良基の時代に確立された式目や理論は、その後も根本的には変わることなく受け継がれることになる。
 しかし、その後一世紀の間に、連歌は良基の理想とは別の方向に進み、『菟玖波集』でさえ埋もれた存在になってしまったという。永享年間(一四二九〜一四四〇)になって、連歌を再興したのは、冷泉派の歌人正徹に学んだ宗砌、智蘊、心敬らである。この三人に、専順、行助、能阿、賢盛を加えた七人は、宗陶によって『竹林抄』に作品を収められ、七賢と呼ばれている。

収録資料一覧

書名をクリックすると展示目録の本文が表示されます。


〔七〕菟玖波問答 〔八〕和歌集心躰抄抽肝要 〔九〕連歌初学抄

〔一〇〕密伝抄 〔一一〕百首和歌 〔一二〕私用抄

〔一三〕かたはし 〔一四〕連歌作法 〔一五〕竹林集聞書




[目次に戻る]

Copyright 2000, Kyoto University Library