1冊 写本 宗祇作 [江戸時代初期か]写 四つ目袋綴 藍色紗綾形文地牡丹唐草空押表紙 本文料紙:楮紙 22.9×15.8cm 無辺界 半面7行 内外題なし奥書:「天正十九年二月上旬写之矢田寺舜長」
附図 平松本||第7門||レ15 <147193>
"Renga no koto"
Critical view of renga-style poems by Sogi.
Hand-written. Edo period.
Hiramatsu collection.
本書には外題、内題はないが、『長六文』『当世連歌嫌詞』『吾妻問答』を順に合冊したものである。『長六文』『吾妻問答』はともに宗祇の代表的な連歌論書。場所を同じくして相次いで成ったこの二書は合冊されることが多い。
『長六文』(連歌論集2に翻刻)の書名は、長尾孫六に宛てた書簡の形態をとっていることから、後に付けられたもの。文正元年(一四六〇)、東国に下向した宗祇は、秋に武蔵国に入り、九月尽(じん)の連歌会で初めて長尾氏と一座し、一〇月には五十子(いかつこ)陣所において『長六文』を書きあげた。翌文正二年三月には武蔵国角田河原付近で『吾妻問答』を執筆した。『吾妻問答』諸本には「長尾弥四郎殿江」と記すものがあり、やはり長尾氏の一族に与えられたことがわかる。跋文には、この辺りの若い人々は、京で見る人々よりも連歌に志が深いようだとあり、彼らの熱意に心を動かされてこの二書は成ったのである。
『吾妻問答』(日本古典文学大系『連歌論集 俳論集』に翻刻)の書名は、同じく問答体で書かれた二条良基の『筑波問答』になぞらえて後代につけられたもので、宗祇在世中には『すみだ川』と呼ばれていた。内容は『長六文』が付様や本歌の取り方、多義語の解説など技術的な指導を中心とするのに対し、『吾妻問答』は、それらに加え、連歌の時代区分、稽古の仕方、当座の心得等にも及び、より体系的な連歌論になっている。(H)
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